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りゅう、ありがとう!

今回はりゅうが亡くなるまでの様子を書きます。

りゅうは認知症になってしまったので徘徊をするのですが、1月の上旬あたりから徘徊が“右回り”から“左回り”に変わりました。認知症の犬の徘徊は“右回り”と一般的に言われています。それが左回りに変わったのだから死が一歩一歩近づいていたのだと思います(勝手な思い込みかも)。

1月23日(水)、雪が降った日ですが、りゅうはやたらと怒っていました。何をするにもブーブー言ってて、雪が降って思うように遊べなかったからストレスがたまったのかな、と思いました。その前日までは夜8時~9時くらいまで徘徊させてハウスの中に入れて寝かしつけると朝までまあまあおとなしくしていましたが、この日は寝かしつけても少し経つと起きて吠えて暴れ出し、また徘徊させると落ち着く、の繰り返しでした。

24日(木)も同様な感じで夜11時まで徘徊しました。

25日(金)の夜も同様で夜12時まで徘徊しました。

26日(土)の朝は氷点下6度まで下がっているのにハウスの中で暴れたらしく洋服を脱いでいました。血が少し飛び散っていましたが、どこから出血したのかは不明でした。りゅうはだんだん足腰が弱くなってきていたので、自分で起きあがれない時が日に日に多くなってきていました。たぶんハウスの中で起きあがりたくて暴れたのだと思います。この日の午前中にやはり暴れて口(下唇)に痛々しい擦り傷ができました。この日の午後で、自分で起きあがれて歩いたのが最後になりました。

27日(日)の朝も氷点下6度なのにハウスの中で洋服を半分脱いで中のトイレシーツ等くちゃくちゃになっていたのでものすごく暴れていたようです。ハウスの中に血がとびちっていてりゅうの爪のあたりから血がでていました。この日の朝は、食べづらかったけど朝ご飯はいつもの量を食べました。お昼近くになって暖かくなったから日向ぽっこをさせようと洋服を脱がす時、すごく震えていました。寒いのかな、と思ってそのまま洋服を着せておきました。お昼のおやつの時間にりゅうはいつも柔らかい肉のスティックを食べているのですが、この日はすごく震えていて口が開かず食べることができませんでした。りゅうは食べたがって肉の近くに口をやるのですが口が開きません。午後になって、少し口が開いたのでその時に少しドッグフードをあげたら食べ、水も少し飲みました。庭にお座りさせておけば自分から歩くことが出来ました。夕飯はやはり食べづらかったですが、震えながらもなんとかいつもの量を食べることができました。その後、大量にう○ちをし、これが最後のう○ちとなりました。今日は震えていて自分で立ち上がることができなかったので座敷に寝かせることにしました。座敷でも震えは変わらずで足をバタバタさせていたので歩きたいのだと思い軒下で支えながら歩かせてあげました。もうこの時には自力で歩くことができませんでした。震えは起きている時だけで、寝ている時はありませんでした。

28日(月)の朝、りゅうを見たら、洋服が乱れていた(片方の腕が脱げていた)ので暴れていたようです。朝ご飯をあげようとしても食べたがっているのに口が全く開きません。心臓病の薬だけは飲んでもらいたいと思い、無理やり入れました。“今日病院へ行くから無理に食べさせなくてもいいかな”と思いこれ以上は食べさせませんでした。9時前に足をバタバタさせたので陽も出ていたので軒下で支えて歩かせてあげました。震えは変わらずで寒いのかな、と思い部屋に戻りストーブで暖めましたが全く止まりませんでした。

病院へ行って先生に年齢を聞かれ「点滴など治療をしても治るものではないです。これからは介護をしてあげてください。」と話があり、“老衰”と受け止めました。口が開かない時の薬の飲ませ方、食べさせ方、なぜ震えているのか、を聞きました。口を開かない時の薬の飲ませ方はほっぺの裏に薬をつぶして塗るそうです。むやみに口を開けると加減無く噛みつくので注意が必要です。震えはりゅうは認知症があって脳が萎縮しちゃってるから、気持ちと体が一致しないという神経的なものだそうです。なのでケガをしても痛いとも感じないそうです(ごめんね、りゅうちゃん)。食べものもつぶして口の横の隙間から入れて飲み物もシリンジでやるとよいそうです。先生はりゅうの後ろ足を触って「筋力がない」と言っていました。“筋力がないって!?先週の夜のあの激しい徘徊はなんだったの?”と思い、私は「先日まで歩いていたのに、急にこんなことになるんですか?」と聞いたら、“急に、”っていうことはないそうです。少しづつ老化は進行しているとのことです。犬の1日は人間の何ヶ月に相当するらしいです。1ヶ月後にはまた状態が変わっていて、特に高齢犬は老化の進行が早い、そうです。確かに日に日に歩くのもつまづいて転ぶことが多くなり、ひっくり返って起きあがれなかったり、食べるのもだんだん食べにくくなってきていました。口が開かないということはありませんでしたが、体の震えもたまにありました、それも昼の暖かい時に。治療は何もしないので、口の擦り傷の薬だけいただいて帰りました。

家に帰って、日向ぽっこさせながら、口が開いた隙にたまごボーロを4つ食べさせました。りゅうが食べたのはこれが最後になりました。足をバタバタさせていたので庭で支えながら歩かせてあげました。夕食も口が開かず、ドッグフードをつぶして少し入れ、シリンジでポカリも少し入れました。この時はポカリを入れると舌を動かして飲みました。ドッグフードは食べてくれませんでした。昨夜食べているから今日はもういいかな、何か流動食を作ったほうがいいかなと思い今日はこれまでにしました。心臓の薬は口の横の隙間から入れました。その後も足をバタバタさせるのでもう外は寒いので室内で歩かせようとしましたが、後ろ足に力が入らずお座りだけが精一杯でした。最終的には頭も上がらなくなりお座りも出来なくなってしまいました。この日の心配はおしっこが朝方1回あっただけというのもあります。夜10時半ごろ寝かせました。

29日の朝、りゅうは昨夜寝かせたままのかっこうで起きていました。おしっこがしてあったので少し安心しました、が、体がぐんにゃりしていてほとんど動きませんでした。いつものように目薬をさして、せめてポカリだけでも、と思い飲ませようとしたが今朝は舌も動かず全く飲みません。シリンジで1滴ずつ垂らし、豆腐も少し入れましたが全く受け付けてくれませんでした。途中、大きく口を開けて閉じて(あくびのような感じ)そのまま再び開けることはありませんでした。“寝ちゃった、今は眠いのかな、昼になれば食べるかもしれない”と思い、無理やり流し込むのもどうかとも思い、心臓の薬だけ入れました。この時が朝6時半くらいでした。7時すぎに口に薬を塗りに行ったら体が冷たくなっていました。寝たきりになって低体温になったのかな、と思い、家族で確認したところ亡くなっていました。今思えば心臓の薬をあげた時には亡くなっていたと思います。まだ体が温かかったから気付かなかったのだと思います。りゅうは本当に苦しむことなく眠るようにして亡くなりました。りゅうの介護グッズをそろえよう、流動食は何がいいかな、床ずれができないようどんなベッドがいいのかな、などと色々考えていた矢先のことでした。母もりゅうが何をどれくらい食べたか、などと介護日記をつけようと考えていました。私もりゅうの介護ブログをもう一つ別につくろうかとも考えていました。これから介護の始まりだー、りゅう、がんばろう!!って思っていたのに、あっという間に逝ってしまいました。こんなに早く逝ってしまうなんて・・・せめて1週間くらいは大丈夫かと思っていました。でも、全く食べないからもうダメかな、という気持ちもありました。昨日、先生の言ってた通りでした。本当に早かったです。先週の夜のあの激しい徘徊はなんだったんだろう・・・りゅうは自分の限界を感じて最後の力を振り絞っていたのかもしれないです。27日の日曜日まで歩いて、ご飯を食べていたのがホントに信じられないです。今日は雪の予報でしたが、火葬の時も行き帰りも曇っているだけで何も降りませんでした。帰ってきて少し経ったらポツポツと雨が降ってきました。これはりゅうの涙なのかな。

りゅうは認知症になっていたので、雨が降ってきても外で寝ていたり、サークルの中から飛び出したり、首つり状態になっていたりで目が離せない状態でした。雨や雪が降れば外で遊べないし、朝も寒くなければいいな、りゅうは今どうしてるのかな、と私たちは何をしていてもりゅうの事が心配でした。そんな心配もあっという間になくなってしまいました。すべてがあっという間になくなってしまったのでりゅうが亡くなったのが信じられませんでした。

亡くなる前のりゅうの姿は洋服を着ていると分かりにくいですが、骨と皮だけの状態でした。この体で震えがひどくなってきて足をバタバタさせて食べたいのに口が開かなくて食べられない、そんな姿は正直見てる方もかわいそうで涙が出るばかりでした。りゅうには「さようなら」ではなく「ありがとう」と言いました。感謝の気持ちでいっぱいです。りゅうを応援してくださった皆さん、本当にありがとうございます。うちにはあと3匹、りゅうの大事な家族がいますので、りゅうの分もかわいがっていきます。これからもよろしくお願いします。 2008年2月5日

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